昨日ボーッとしながら何となく思いついた事なので、どうでもいい話。
結構前に、週刊誌が女性のオタク、特に腐女子と呼ばれる人を「オタージョ」と呼んでいたという話があった。
もちろん自分はそんな言葉を聞いたことはなかったし、どう考えてもどうやって調べても、その言葉に相当する最も一般的な言葉は「腐女子」になる。週刊誌が女性に対して「腐」という悪いイメージを持つ言葉を適用する事を避けたという事はあるだろうけど、それと同時に記者の自尊心のような物を何となく感じた。つまり、あえて違う言葉を使うことで一般に対してその言葉を広め、「この言葉は自分が流行らせた!」という確信によって、記者自身の自尊心を満たそうとしているのではないかと。
まぁ今回のケースが違ったとしても、記者の中にも「自分で流行や話題を作り出そう」と考える人はいるだろうと思う。そうして変な言葉や妙な話に彩られた記事が、週刊誌という影響力の大きなフィルタを通る事で、多くの人に広まる。
言葉の乱れというのは、こうした所でも生まれてくるのかもしれない、と思った。
「若者の言葉が乱れている」と言われたりする事はあるけど、言葉は徐々に変化していく物だと自分も一応認識している。しかし実際のところ、テレビや雑誌といった影響力の大きなメディアによって、言葉の変遷は加速しているのではないかという気もする。もちろんそれはただ自分の印象で言っている事だし、変遷が加速する事もまた変化の一部と捉える事もできる。
しかし、わざと珍妙な言葉を使う「文化」の影響が作り出す変遷が、本当に「乱れていない」のかと言われても、それを力一杯否定できるほどの考えは生憎持ち合わせていない。
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