インターネットによる知的能力の変化

スラッシュドット・ジャパン | インターネットによって私たちの知的能力は低下している?

ネットに取り込まれた媒体のコンテンツにはハイパーリンクが貼られ、点滅する広告が組み込まれ、諸々の見掛け倒しの機能が付加され、他の取り込まれた媒体のコンテンツで取り囲まれた姿に形を変えるのである。そしてそういったテクノロジーを使う人間の脳は非常に高い順応性を持つため、それらテクノロジーの性質を獲得し機能するよう自身を作り変えるという。

私たちがインターネットに接続する頻度と度合いが深まるほど、理路整然とした深い思考を練る能力を失い、バイトサイズの情報を迅速に処理し、ざっとナナメ読みするようになっていないだろうか? インターネットの広がりとともに、人はどう変化してきて、これからどのように変化していくのだろうか? /.J諸氏の見識をお聞かせ願いたい。

まぁよくある話題だけど、一応。

インターネットの利用によって、必要な情報をピンポイントで素早く取得できるよようになった反面、あまりにピンポイントすぎてその周辺の情報がまるで入ってこなくなり、視野の裾野が広がりにくい、というのは昔から非常に強く感じる。
例えばインターネットが無ければ、必要な情報は書籍を当たるなり関連資料を探すなりする事になる。しかし紙媒体に検索機能があるはずもなく、調べる場合は時間をかけて書籍を読み進める必要が出てくるし、必要な情報が必ず手に入るとも限らない。しかし、その過程で類似情報、周辺情報が知識として吸収されていく。調べる効率が悪い反面、知識が広がりやすい。

一方、インターネットに限らずデジタル化された情報は、そのインデックス(URLとか、目次とか、最初に書かれた概要とか、タグとか、大きく書かれた文字とか、とにかく目立つ形で配置された情報)が重要視され、インデックスだけ見て情報の取捨選択をするという効率性重視のスタイルになりがち。

また、そのインデックス情報のみを記憶して、必要なときに情報を絞り込む事で、細かい知識を一々覚えなくなる。そのインデックス情報のみが蓄積されるため、自身の知識が蓄積されない。知識が共有化された事で「誰かが知ってればいいやー」的な発想になる事も、それに拍車をかける。

これらの事を、知的能力の低下と言われればその通りかもしれない。
ただ、覚えておくべき情報と、一々覚えなくても後から引き出せばいい情報が取捨選択できるようになったことで、必要とする知的活動に重点を置けるようになったと考えれば、別に能力が低下したとも言えないのかな、と。必要とされる能力が、情報を覚えることではなく、情報を適切に探し出す能力にシフトしたという話で。
しかし、色んな物事をよく多くより深く覚えた方が、知識の結びつきによって新しい発想が生まれやすいと考えれば、能力の低下と言えるのかもしれない。
一方、ネットが誰でも利用でき、知識が共有化されることで、知識水準が底上げされた→知的能力が向上した、とも考えられる。

すいません、個人的には「どちらとも言える」としか。まー少なくとも相対的に言えば、いつの世も天才は天才だし、アホはアホだとは思いますが(笑)。


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