情報量って何だろう

ずっと前に、どこかのサイトか2ちゃんねるか忘れたけど「アニメに比べて実写の方が情報量が多い」という話を見た。もう何の話題かもさっぱり覚えてないのでこの言葉の意図している所がまるで分からないのだけど、最近ふと思い出した時に頭の中に二つほど疑問が浮かんだ。
まず「情報量って何だろう」。それから「本当に情報量は実写の方が多いのだろうか」。

で、ちょっと検索してみたところ「情報量」を映像の精細さや細部の表現具合といった形で述べているサイトがあった。確かにこの考えでいけば、細部を描く必要があまりなくてのっぺりとした映像が多いアニメに比べれば、実写の方が情報量が多くなるのは納得出来る。これは概ね「フルHD映像の方がSD映像よりも情報量が多い」とか「1MBよりも1GBの方が情報量が多い」などと置き換えても問題ないように思う。

ただし自分がここで疑問に思うのは、果たしてその情報にどれだけの意味が存在するのかという事。実写であれば、カメラに写った物が映像として取り込まれる。そこに制作者の介在する余地は少ない。空が晴れているとか、舞台が海であるといった、そういった作品を作り出す上で必要な要素を意図的に映す事はできても、空にどのような雲がある(笑)とか、どのような波が立っているかといった所にはあまり介入できない。悪い言い方をすれば、その辺りは制作者が意図しない「ノイズ」となる可能性がある。
逆にアニメは、制作者が描かない物は決して存在できない。何となく背景が出来ていたとか、そういった事はあり得ない。逆に言えば、画面の中の全ての物に誰かしらの意図が介在してくるわけだ。もちろん、時間が切羽詰まったためにアニメーターの人が適当に背景を仕上げたといった事はあるだろうけど(笑)。
そう考えると、意味を持つ情報としての量がアニメが実写に劣っているとは思えない。むしろ意図しない情報が多く混入する実写の方は、本来の情報を見失わせてしまう可能性があるのではなかろうか。

それと関連して一つ。
アニメ好きの中には、最近のアニメに見られるCGやデジタル処理を好まない人がいる。割と昔からのアニメ好きに多いように見受けられる。個人的にはあまり気にならない。
そういった人達は、デジタル処理によりある程度の処理(エフェクト・彩色など)が自動化されてしまう事によって、アニメーターの意図が介在する余地が少なくなった絵に味気なさを感じているのかな、と。
そんな風に思った。
いやまぁ、セル画の持つ独特な味が良いというだけの事だとは思うのだけど。

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