KURAU 最終話

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年末最終回ラッシュのトップバッターはKURAU。

全体を見て感じたのは、とにかく薄味な内容だったこと。
話の多くの部分でクラウとクリスマスの逃避行が描かれ、捕まりそうになったり実際捕まったりと、似たような展開ばかり。2クールかけるほどの内容とも思えなかった。
また、それに加えて設定などに理解しにくい物、ぼかされていた物が多かった事も、要因として挙げられる。結局「対」というのはリナクスにとってどういう物だったのかとか、リナクスはどういう存在なのかとか(公式には一応解説があるけど、それだけでは釈然としない部分が多すぎる。何故リナクスが湧いたり戻ったりするのか、とか)。
結局そういった「見えにくい」物を除いて「見える」物だけを取り出して繋ぎ合わせると、「大きな力を利用する人間がいて、その企みを知った主人公達がそれを止めるためにに行動し、最後暴走した力を主人公が何とかする」という、それこそアニメの入った籠に手を突っ込んで一山取り出してみれば、その中にいくつでも見られるような作品になってしまう。もちろん、それをどう繋いでどのように見せるかによって、どんな作品にもなり得る素材なんだろうけど、この作品はその肝心の「見せる」部分がぼかされているために、面白さを失っている上に、話の筋も分かりにくくなっている。
まぁつまり、色んな物をぼかしすぎたことが良くなかった、と思う。前提となる設定はハッキリ描いて、ぼかす部分はぼかして、メリハリをつけた方が理解もしやすいし、感情移入もしやすくなって面白いんじゃないかなぁ、と思う。
例えば、物語の途中で出てきたイヴォン。このキャラクターは自分の対を求めていたけど、じゃあ何故対を求めていたのかを考えた場合、「リナクスだから」となる。じゃあ何故リナクスは対を求めているか、対はどうやって出てくるのかを考えると、その前提となる部分がさっぱり分からない。だから、イヴォンの行動が理解できないし、感情移入もしにくい。

自分はアニメに対して、エンタテインメント性を求めている。だから、理解できない物・理解に苦しむ物よりは、理解できる物の方がずっと好ましい。よって、物語の要素に対して理由付けや必然性があった方が良いと思うし、より楽しめる。
そういった意味で、KURAUという作品は自分向きではなかったのかな、と感じた。まぁ大筋の話は理解できたんだけどね…。結局、それを構成する要素や前提が弱かった、ということかな。


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