昨日見てきた。時間無いのに、何やってるのやら。
こんな遅い時期に見に行った理由は、一つ目に夏場に行くタイミング逸した事、二つ目にこの時期なら空いてると思った事、三つ目に評判が良くなかったのであまり乗り気になれなく、ダラダラ引き伸ばしていた事。
ただし、駄作上等のつもりだったので別に見に行く気がなかった、というわけではない。
まぁ今さらという感じで、あまりダラダラ書いてもしょうがない気がするので、多少簡潔に感想を。
全体的に思ったのは、色んな描写が足りてない事。アレンが父親を殺した理由は?その父親から奪った、あの光る剣何よ?テルーがアレンに理解を示すようになった理由は?テルーの歌には何か意味が?ただのタイアップか?
…などなど。とにかく登場人物の動機が不明瞭だったり、作品の要素に対してあまり深い意味づけがされておらず、ただそう描写されているだけ、といった物が多数目につく。だから、作品への印象・場面のインパクトが薄らいでしまっている。
その割には、必要と思えないような妙な間を描くシーンが多数挿入されている点が不可解。例えば、アレンが家から出てテルーを呼びに行くシーンで、家から出て柵の扉を開けて…という一連の動作が詳細に描かれていたりする。全部見た後でも、それらがどういった意味を持っていたのかがさっぱり分からない。別にそんなものは省略していいだろう、と。
とはいえ、方々で酷評されるほど酷い作品とは思わなかったけどね。ただ、作りが無難すぎる上に、描写が甘いので「そんなに面白くない」作品、というレベル。
ここから内容以外の話。
この作品を見て「宮崎吾朗監督の実力云々」と語られている様子を見ると、どうにも違和感を感じる。色々調べてみても、宮崎吾朗監督のアニメーターとしての実績なんてまるで出てこない。せいぜい、建設コンサルタントをしていた事とか、ジブリ美術館の館長をしていたとか、その程度。今回の作品では、建設コンサルタント経験による「“空間把握能力”が役に立った」というコメントが見つかるけど、苦しいにも程がある。
実際のところはどうだか知らないけど、これだけ見ればアニメーターとしての経験は無いと考えて良さそうだ。大体、アニメーターとしての経験があれば、「建設コンサルタント経験による空間把握能力」なんて苦しいコメントをせずに、その経験を宣伝として使うに決まってるんだから、それすら無いという事は完全無欠のド素人という事なんだろう。
そんな人が、アニメ制作に深く関わったとは到底思えない。アニメ監督が一朝一夕で務まるようになるとも思えない。そもそも、動画や原画の仕事を経ずに監督としてアニメを作るなんて無理でしょう?運営・経営ならまだしも、実際にアニメーションの絵を作る側なんだから。
そこが、先に述べた違和感の正体。今回の作品はあくまでも「ジブリスタッフ」の実力であって、宮崎吾朗監督は本当にただ「ジブリブランド」「宮崎ブランド」を死守してスポンサーを納得させるために、ジブリの方針として監督に据えられただけなんじゃないかと。…というか、それ以外考えられない。
まぁ何というか、アニメ制作会社がブランドを守るために世襲制になったらオシマイだよなぁ、と思う。今はまだブランドで売れるし、実際売れてるからいいけど、このままだと実力で積み上げてきたブランドを、食い潰すだけで終わってしまう。実際のところ、ジブリはこの「宮崎」ブランドのジレンマからどうやって脱却するつもりなんだろうか。
うかうかしてると、本当にそのうちフジテレビを味方に付けたGONZOにブランド価値で追い抜かれてしまうかもしれない。
個人的に、それはそれで一向に構わないのだけど。
追記
談だけど、「時をかける少女」を引き合いに出して「ゲド戦記」をやたら貶めたり、その逆だったりする感想を見るけど、見ていてあんまり気持ち良くはないなぁ。
何かこう、面白い・面白くないの感覚や意見を画一化しようとしている感じが気に食わない。
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