Daily Index - 2004年12月12日 (3件)

2004年12月12日のエントリー一覧

ローゼンメイデン 10話

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ジュンと人形達が、のり演劇のナレーションを手伝ったり、その後でのりが人形達の服を洗ったり、ジュンが真紅のカフスを縫い直したり。そんな中でも、何か考え事をしている様子の真紅。その夜、真紅は前日の夜に夢の中で水銀燈に挑まれた戦いに臨むため、エヌのフィールドへ向かった…という話。

蒼星石の話も一段落して、再びほのぼの話。翠星石がトランクごとジュンの家に突っ込んできて、ジュンが開けた方の反対側(何か言い方があるような気がするけど、分からない)の窓に突っ込んできたため、被害が窓ガラス2枚に拡大していたには笑わせてもらった。それと、翠星石の魔女役がハマりすぎている点も面白かったな(笑)。…どうも自分はこの作品の中で、翠星石が一番好きらしい。
洗濯のシーンでは、人形の関節の継ぎ目を見た事で、ようやくローゼンメイデンが人形であることを(生々しく(?))実感する事が出来た。しかしそれは、生身の人間とは異なる無機質さを感じさせ、非常に不気味に感じられた。そういえば、指とか口とか、継ぎ目が見えない部分はどうやって動いてるんだろうな。まぁ、あまり深く考える必要はないと思うけど(笑)。

今回の真紅は、のりに対してジュンへの接し方を紅茶になぞらえて語っていたり、ジュンに対して人形のことについて語っていたりと、水銀燈との対決に重大な決意を持って臨もうとしていることが窺える。
その真紅とジュンの会話で、ネジが切れると眠りに落ちてしまう人形を羨ましいと思うジュンに対して、それを否定し、アリスゲームをするために生きる人形を悲しいと感じるジュンの言葉に対して、「生きる事は戦う事」と言う真紅。その生き方、考え方がまるで違う真紅の言葉に、ハッとするジュンを見ていると、この作品では、ジュンの今をネジの巻かれていない人形に例えて表現し、ジュンにとっての「ネジ」を見つけることがこの作品の主題なのかなぁ、と思ったけど、どうなんだろう。
それから、ローゼンメイデンは、完璧な少女アリスを目指して作られた人形であることは分かったけど、そのこととローザミスティカを集めたローゼンメイデンがアリスになれることの繋がりが、今ひとつよく分からない。アリスになれなかった人形が、ローザミスティカを集める事でアリスになることができるというのは、どういう理屈なんだか。まぁ、設定と言われればそれまでだけど…。

で、エヌのフィールドって結局何?

追記

回の1シーンで一つ非常に気になった点があったので追記。なお、自分はアナログ地上波のTBSでこの番組を見ている。
まずこの画像。

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左の蒼星石、右のジュンの体が半分ぐらいしか見えていない。これは、本来16:9の映像を無理矢理4:3にしているため、少し左右が切り取られてしまうために起こる。最近では、上下に黒枠を付けて16:9にすることが多いけど、ローゼンメイデンでは上下がきっちり見えているところを見ると、左右1/8ずつがザックリ切り取られているのかな?この状態でも左右の二人は喋るので、非常に違和感があった。

ところが、これはあくまでも映像をPCで映した場合。テレビでは、これをさらにオーバースキャンすることになる(オーバースキャンについてはこちらが詳しい)。自分の部屋のテレビは安物らしく、オーバースキャンによって結構ザックリ持って行かれる。そのため、実際にテレビに映った映像はこう(これは録画したビデオを再生した物なので、多少は違うかも?)。

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これだともう左右に誰がいて、何処から喋っているのやら…。いくら何でもこれは酷い。元が16:9の映像を無理矢理テレビに合わせているとはいえ、もう少し何とかならなかったものか。いや、確かにオーバースキャンの割合が大きいのは家のテレビがヘボだからかもしれないけど、そうでなくても体が半分しか見えてないのは、いかがなものかと。
デジタル放送+液晶テレビとか、そういう環境だとこういう問題とは無縁だったりするんだろうけどねぇ。

BECK

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今回でとうとうコユキがBECKのボーカルに。

この作品は結構面白いと思うけど、気になる点がいくつか。
まず、人間同士の繋がりの描写が希薄なこと。サクが何の抵抗もなくBECKのドラムとして受け入れられていたり、コユキがいつの間にか千葉や平と馴染んでいたり、人間関係に関して「いつの間に?」と感じられる点が多々見受けられる。5人組のバンドを中心として話が進行するのであれば、その5人の繋がりをおざなりにしてしまっては、感情移入しにくいし、人間ドラマとしては物足りない。全体的に、コユキがボーカルになるまでの過程を最短距離で突っ走ってしまったような印象を受けてしまう。その他の部分を、もう少し丁寧に描いてほしかったところ。
それからもう一つ気になる点。これは別にBECKという作品に限った事ではないのだけど、音楽の良し悪しがよく分からない(笑)。「いい音楽」とか言われても…。漫画では視覚的な演出で音楽の良し悪しを表現することになるため、作中の音楽が良かろうが悪かろうが読者の耳には聞こえない。そのため、音楽の評価はどうにでも誤魔化せる。しかしアニメ等のように映像化されることで、音楽が直接評価の対象とされてしまうため、実際に「良い音楽」や「悪い音楽」を作る必要がある。ところが音楽の感じ方や評価は人によって異なるし(実際、自分にBECKに流れるような音楽の良し悪しはワカラン)、絶対評価が付けられる物ではない。そこに視聴者との温度差が生まれ、違和感を感じてしまうことになる。
ただ、これに関しては慣れの問題もあるのではないかと思う。というのも、日本では漫画に慣れ親しむ文化が色濃いため、作中における視覚的な良し悪しを「認識させられる」ことに慣れている。そのため、映像化されても作中における「いい絵」とか「素晴らしい光景」といった視覚的な物は、あまり抵抗なく、それを自分の中で認識する(させられる)ことができるのではないかと思う。しかし、漫画では「音」すらも視覚的に表現されてしまう。そのため映像化されることで、音を音として良し悪しを「認識させられる」に慣れていない。そのため、違和感を感じてしまうのではないか、と。

とまぁ気になった点をつらつらと書き連ねてはいるけれど、BECKのストーリー自体は割と良いと思う。コユキがいじめや挫折に屈せず、音楽に打ち込んでいく様は、結構感じ入る物があるし、そこで起こる人間ドラマは結構面白い。コユキがボーカルとなったことで、今後どんな展開になるのか結構楽しみにしてる。

巌窟王 10話

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モルセール、ダングラール、ヴィルフォールの3人と、カドルッスがエドモン・ダンテスという人物からの葬儀の案内状によって、教会に呼び出される。そこには、ヴィルフォールがモンテクリスト伯を探るために放った偵察(名前忘れ)が棺桶に入れられていた。一方マクシミリアンは、ヴァランティーヌをヴィルフォール邸から連れ出そうとするが、その途中でエロイーズに発見されてしまう…という話。

今回ようやく「エドモン・ダンテス」という名前が出てきたことで、モルセール達がエドモン・ダンテスという人物との関わりによって、何かしらの後ろ暗い繋がりがあることが判明する。この名前は原作の起点であり、主軸となるため、この名前を持ち出した事で、伯爵が本気で相手を追い詰めようとする段階にきたのではないかと想像する。伯爵が偵察にも完璧に隙を見せず、モルセール達を徐々に精神的に追い詰めていこうとする様が、恐ろしくもあり、ある意味爽快でもある。
あと今回気になったのは、エロイーズとエドワールの、

「おじいさまがまた車椅子から落ちたんじゃないかしら」
「ヴァランティーヌが眠ったままだと、誰も起こしてくれないね」
「でも返って、いいリハビリになるかもしれないわね」

という会話。以前から、毒を盛ったりとエロイーズが残酷な性格の持ち主であることは描かれていたけど、今回は毒殺対象への感じ方、考え方が(やや歪曲されたものとはいえ)直接言葉として表わされたことで、精神的な残酷さが生々しく描かれ、より救いようのない残忍さが感じられたため、エロイーズに対して今で以上の嫌悪感を抱いた。純粋に友人を思ってヴァランティーヌを連れ出すマクシミリアン達の行く手を阻むことにも、言いようのない苛立ちを覚える。エロイーズを毒殺犯と知ったフランツが、対面したエロイーズに対してどんな行動を起こすのか…。

あと、伯爵が神父の格好でルイ・ダンテス(だっけな?)について調べて回っていたという点が少し気になったな。ただのヴィルフォールの偵察に対する偽装なのかな?

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