準ひきこもり

準ひきこもり

大学には来ているけど、他者との交流が少ない生活を送る大学生を、「準ひきこもり」と言うそうで。

Discommunicative – 大学における準ひきこもりという存在
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―
かぐや姫症候群に関する考察 ―準ひきこもり行動との関連から―

もうね。ここまでピンポイントに自分の問題点を指摘できる文章と、それを定義する言葉に、大変感動した。間違いなくこの文章は自分の事を言ってるね。断言できる。否定する要素がほとんど無いこの記述はちょっと極端すぎた。あえてハッキリ否定できる点を言えば、大学の成績はスレスレの低空飛行だった点が違う(笑)けど、これは内容の本質とはあまり関係が無いと思う。むしろ、そういうサンプルもあるという程度の物。

何かこう、中学生ぐらいから大学時代の間に自分の中でモヤモヤ悩んでた事を、こうして明確に文章として表した上に「準ひきこもり」と定義される事で、落ち込むよりも、むしろすっきりした気分になる。黒いレイバーの呼称が「グリフォン」と決まった時の特車二課の気持ちってこんな感じかなぁ(かなり違う)。
まぁ多分それは、周囲から少々はみ出した(という自覚のある)自分を当てはめる「型」の存在が定義された事によって、(負の方向とはいえ)自分の社会的な立ち位置を得た安堵感みたいな、かなり後ろ向きなシロモノだと思うのだけど。

今でもやっぱり、他者と積極的に関わろうという気力は薄い。実際ネット上でも、(このサイトをご覧になっている方は分かるかも知れませんが)他のサイトに働きかけようとか、そういう事もあんまりせずに自サイトでひきこもってるのが実情。
ただ、一応就職はしたので、まだ症状は軽微と言えるのかもしれない。しかし、この先数年後に退職したら、この文章に定義された通りの生き方になってしまうのかもしれないけど。

ただ、内容が全体的に印象論みたいな感じで主観的な部分が多く、批判的な感じなのがちょっと…。
一番気になるのは、

若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。

これはいくら何でも言い過ぎじゃ。あー、でも気付いてないだけで周囲からはそう見てたりするのか。そうかも。
ともあれ、この文章の目の付け所はかなり良いポイントを突いているな、とサンプルの一人は思う。自分がそう思いたいだけかもしれないけど。

参考

– Empty Talk -(2006-05-07)

追記

ちなみに、非社交的な事が絶対悪とは思ってないけど、非社交的であるよりは社交的であった方が、色んな意味で良い事であると考えている。だから、非社交的である事を認めてほしいとか、そういう事はあんまり考えてないです。

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