テレビ埼玉 2005年4月3日 24:35~
原作は「ほぼ」未読なんだけど、面白そうだったので見る前から結構期待してた作品。原作を「ほぼ」未読というのは、この前東京国際アニメフェア2005に行った際に、エマの原作の1話が収められた小冊子が配布されていて、それを読んでいるから。
物語は、19世紀の英国ロンドンにおける階級社会の中で、メイドのエマとエマにに恋をする上流貴族のウィリアムのお話。第一印象としては、その作品の階級社会という背景が端々から顔を覗かせているのが興味深いな、と感じた。最初のOPで、音楽に合わせて町の風景と貴族の舞踏会が切り替わって、その生活風景の対比が描かれていたり、ウィリアムに大きな金銭感覚や物の価値に対するズレがあったり、公園で花を売る少女と、それを見るエマ、全く目に入っていないウィリアムの違いがあったり…。それによって見る側は、二人の行く末に対して不安を煽られる。元々この作品のコンセプトが、身分の差によって阻まれる貴族とメイドの恋物語ということなので、この各種描写は物語に暗い影を落とすという大きな役割を果たしていると感じる。
あとそれ以外に、細々とした生活描写が沢山描かれているのが面白いなぁ、と思う。ところで、茶葉で掃除するなんて知恵、初めて知ったよ…。
エマは今までに何度も色んな人からラブレターを受け取っていた様子が見て取れたので、エマは美人という認識ということでいいのかな。ウィリアムがエマに惚れたのは、その美しさに一目惚れ…ということなのか。
ところで、原作1話を見る限り、ウィリアムはケリー家にわざと手袋を置き忘れて、エマを待ち伏せていたけれど、アニメだとウィリアムは本気で手袋を忘れていたのね。個人的には、原作の方が良いなぁ。原作の方が、ウィリアムのずる賢く子供っぽい面と、それをケリーに見透かされたことでケリーとウィリアムが、どういった家庭教師・生徒の関係だったのかが見て取れて面白いから。あと原作では、ケリーはウィリアムがエマを気にしている様子を看過しているけど、アニメの展開だとエマがウィリアムを気にしている様子を看過しているという風に見て取れる。こういった展開にしたのは、何か理由でもあるのかなぁ。
あとこの作品は、ウィリアムのボンボンっぷりが面白い。エマとの感覚のズレもそうだけど、その実直に気持ちを表す様子が楽しい。とりわけ、エマに眼鏡をプレゼントしようとする際、エマにプレゼントを渡す口実ができたことで実に嬉しそうな様子と、「鳥は飛んでるし、花も咲いてるし、子供だって転んでるじゃないですか。まったく問題ないですよ!」という全く意味を為してない台詞。何が何でもエマに喜んでもらおう、その過程はとにかく何でもいいから、といった様子がよく滲み出ているなぁ、と。ただ、それは微笑ましさと同時に、社会的な格差といった暗い要素が見て取れる。
まぁ1話を見てそんな事をあれこれ思ったわけだけど、この作品は期待通り結構面白かった。今後も大変楽しみにしている。
余談だけど、テレビ埼玉ではこの作品の後に「エルフェンリート」が放送されている…。少しは編成考えてほしいよ(笑)。
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