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インターフェースとコンテンツ

このタイトルでダラダラと長文を書こうと思ってたけど、文章も下手だし面倒なのでやめ。思ったことを端的に。

コンテンツを作り出すという事は、価値を生み出すという事。
インターフェースを整えるという事は、コンテンツの価値を落とさないという事。
コンテンツとインターフェースは、互いに相対的な物であるという事。

例え話1。
物凄く高機能なテレビがあり、コンテンツとして100くらいの価値があるとする。ただし、リモコンが物凄く使いにくい。インターフェースであるリモコンが使いにくければ、テレビの評価は10にも1にもなるかもしれない。
また、テレビその物は映像コンテンツを映し出すインターフェースであると捉える事ができる。テレビがインターフェースとしての出来が悪ければ、どんなに面白いコンテンツも見られる事はなく、価値も下がる。

例え話2。
自分が物凄く役立つ情報を持っていたとする。ただ、これをネットに公開したところで、Googleを初めとする検索エンジンに引っかからなければその価値が認められる事は、多分無い。言い換えれば、見つけられない情報、伝えられない情報に価値は無い。
検索エンジン自体は情報を探し出すためのインターフェースだけど、検索システムそれ自体は利用されるコンテンツであり、そのコンテンツの価値は検索される情報によって生み出される。

物を作る場合、コンテンツとしての価値が重視されがちだけれど、そのコンテンツの価値を周知するためのインターフェースを軽視するのは片手落ちと言わざるを得ない。
章立てや構成も録に出来てない仕様書(読み手分かりやすく伝達できない時点で価値が低い)、拙いプログラム(メンテナンス性が著しく低く価値が低い)、ただ倉庫に存在するだけの過去の膨大な資料(利用が困難であり情報としての価値は低い)、へぼなGUIを備えたソフト(使い手のユーザビリティを考慮していないため使いにくい)、等々。
どんなに「いや、きちんと相応の価値があるんですよ!」などと主張したところで、それを伝達するインターフェースを用意できなければ、その価値は無いに等しい。
本当に100の価値を主張したければ、100の価値があるコンテンツを作る事は前提として、100の価値を落とさないためのインターフェースをを整える事。その双方が出来て初めて100の価値を主張できる。

とりあえず、自分はそんな風に考えています。

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